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カープOBレジェンド!黒田博樹について解説

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みなさんこんにちは

今回はカープOBシリーズ。スポットライトを当てるのは、黒田博樹さんです。

メジャーでもその名を馳せた、カープが誇る名ピッチャーについて今回は解説していきます!

黒田博樹の経歴

入団まで

黒田博樹さんは、1975年2月10日に大阪府大阪市で生まれました。

小学生になると、お父さん(南海ホークスに所属した元プロ野球選手)が監督を務めるボーイズチームに所属します。

そして、高校は大阪の上宮高校に進学します。しかし、意外にも高校時代は控え投手に甘んじていたそうです。

そんな悔しい高校時代を経て、専修大学に進学します。

大学時代は神宮球場で最速150㎞を計測し、チームを2部から1部へ昇格させるなど中心選手として活躍します。

この専修大学での活躍がプロ野球選手へと黒田選手を導きます。

入団からメジャー挑戦

1997年にドラフト2位でカープに入団する黒田選手。

なかなか思うようには活躍出来ない時期が続きますが、入団5年目の2001年になると12勝を挙げ勝ち頭に成長。そして、2003年からは5年連続で開幕投手となり名実ともにエースに成長します。

そんな黒田投手にはこんなエピソードがあります。

10年目となった2006年、黒田投手はFA権(他球団に移籍出来る権利)を得て日米他球団より多くの高額オファーをもらいます。カープよりも億単位で高額なオファーだったので、誰もが黒田投手も移籍してしまうと思っていました。

しかし、黒田投手はカープと契約更新したのです!

黒田投手曰く、「僕をここまで育ててくれたのはカープ。そのチームを相手に目一杯ボールを投げることは出来ない。今後も国内他球団の移籍はない!」。

いわゆる”生涯広島”宣言です。

この言葉に黒田博樹という人間がぎゅっぎゅっと詰まっていますよね。

2007年も活躍し、通算100勝などを達成します。

そして、翌年の2008年。かねてから目指していたメジャー挑戦を決意します!

最初の挑戦の地は、ロサンゼルス・ドジャースでした。

メジャー時代

2008年4月4日のパドレス戦に初先発・初勝利し、前半戦だけで5勝を挙げるなど順調なルーキーイヤーを過ごします。

そして、3年目の2010年には10勝を挙げ3年契約を延長し、2011年までドジャースで活躍します。しかし、最後までワールドシリーズ制覇は成し遂げられませんでした。

2012年にはさらに強いチームを求めてヤンキース移籍を決めます。

移籍初年度の2012年シーズンは自己キャリアハイの16勝を挙げ、チームも地区優勝するなど華々しい活躍を見せました。

そして2014年シーズンまでヤンキースで活躍を見せますが、やはりワールドシリーズ制覇は成し遂げられませんでした。

そして、2014年のシーズンオフにカープファン待望の知らせが届きます!!

カープ復帰

2015年シーズンより、8年ぶりにカープの一員として新シーズンを迎えます。

まだまだメジャーから多額のオファーがあった中、日本球界に復帰ということで世界中のカープファンが歓喜しました。笑

40歳となるシーズンでしたが、最終的に11勝を挙げるなど見事な活躍を見せます。

そして、2016年には契約更新し年俸6億円でその年の球界最高年俸選手となります。

その16年シーズンは、まさに黒田博樹投手の完成の年となりました。

7月には日米通算200勝を達成。これは野茂英雄選手以来の快挙となりました。

そして、カープがマジック1で迎えた9月10日の巨人戦に先発した黒田投手は、6回を投げ切り、見事優勝投手をなりました!!

25年ぶりのリーグ優勝、最高でしたね。

そしてその年、黒田投手は引退を発表されました。まさに有終の美ですね。

黒田博樹の現在

黒田さんは現在、なんと吉本工業に所属されています。

ただ、芸人さんになろうとしている訳ではなりません。笑

現在は解説などをお仕事を吉本工業にマネジメントしてもらっているそうです。

カープファンとしては、いつかカープの監督として戻ってきてほしいですよね。

まとめ

カープで活躍をし、その活躍の場を世界に広げた黒田博樹投手。

その華々しい活躍と、漢気溢れる姿は全カープファンが虜になりました。

ぜひ、今後は監督としてまたカープファンを虜にしてほしいです。

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